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東京五輪・パラリンピックに伴うリスク

=企業に求められる危機管理=

2019年07月01日

社会・生活

研究員
小野 愛

 2020年東京五輪・パラリンピックの開催まで1年余。大会の開催期間中は200以上の国・地域から選手やスタッフ、メディア関係者、観客が集結し、その数は延べ1000万人を超えるとみられる。主な競技会場は東京都心部にあるため、日本経済の通常機能を維持できるか懸念する声も上がっている。

 今回は過去の五輪における教訓を整理した上で、東京大会が企業にもたらすリスクを①通勤障害②物流障害③テロなどの視点から考察し、求められる対策を提言する。

Ⅰ.東京五輪・パラリンピックの概要

 東京五輪は2020年7月24日開会式~8月9日閉会式までの17日間。その後15日間の入れ替え期間を挟み、8月25日~9月6日の13日間にパラリンピックが開催される。つまり五輪開会式~パラリンピック閉会式の約1カ月半にわたり都心は人や物資であふれかえる。

東京大会の期間と想定規模20190630_01b.png(出所)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

 主な競技会場は、東京都心部から郊外に広がる「ヘリテッジゾーン」と臨海部の「東京ベイゾーン」に設営される。東京大会のコンセプトである「コンパクト五輪」の弊害として会場が首都とその周辺に集中するため、経済機能に変調を来たすリスクがある。

 また、2008年北京大会以降では最も暑い大会になることにも注意が必要である。2018年8月の東京の最高気温(平均)は32.5度。北京大会(30.6度)やロンドン大会(21.2度)、リオ大会(27.2度)を上回り、猛暑対策が不可欠だ。

Ⅱ.予想される通勤障害

Ⅱ.1.鉄道の混雑予測

 首都圏の鉄道は通常、1日約800万人が通勤・通学に利用する。朝のラッシュ時間帯に競技会場へと向かう大勢の観客や関係者が加わると、駅では何が起こるのか―。中央大学理工学部の田口東(たぐち・あずま)教授のシミュレーションによると、鉄道の利用者は1日当たり最大66万人増加すると予想される。鉄道に不慣れな外国人が増えることで、会場周辺の駅や主要ターミナルでは大混雑や電車の遅延が避けられそうにない。

 田口教授によると、大会期間中の午前6時~9時の間、都内では乗車率200%以上の電車が5割も増加する。新宿駅や東京駅といったターミナルのほか、国会議事堂に近い永田町駅では地下鉄乗り換え客で構内は普段の2倍を超える人であふれ、電車の立ち往生などが懸念されるという。

Ⅱ.2.ロンドン大会で実施された通勤対策

 2012年ロンドン大会では、期間中の市内公共交通機関の利用者が820万人も増加(通常は2500万人)すると予測されていた(ブルームバーグ2017年7月24日)。このため開催前は、「市内の交通網は乗客の急増に耐えられない」との指摘もあったが、実際には期間中に混乱はほとんど見られなかったという。なぜなら、地下鉄・バスを運営するロンドン交通局などが緻密な輸送計画を立案・実行したからだ。例えば、混雑する時間・場所などを的確に予想し、その情報を市民に分かりやすく伝えることで「行動変化」を促したのである。

 具体策として、ロンドン交通局は大会前から市民に対し、混雑回避のための啓蒙活動を強力に展開した。そのポイントは、移動について①回数を減らす=Reduce②ルートを変える=Reroute③時間を変える=Retime④手段を変える=Re-mode―という「4つのR」である。

通勤の工夫を呼び掛けるポスター20190630_02a.png(出所)ロンドン市・ロンドン交通局

 

自転車の利用を呼び掛けるポスター20190630_03a.png(出所)ロンドン市・ロンドン交通局

 大会期間中は、通勤者の3分の2がいずれかの「R」を実行して混雑を回避する行動をとった。開催翌年に発行されたロンドン交通局のレポートによると、詳細は以下の通りである。

 ①回数を減らす(Reduce)=多くの市民がオフィス以外の自宅などで働くテレワークや出退勤時刻が柔軟なフレックスタイム、有給休暇などの制度を活用した。

 実は、大会前にロンドン市や企業が「働き方改革」を強力に推奨していたのだ。例えば、大会が始まるまでに市内の企業の8割以上がテレワーク制度を導入した。ロンドン交通局が行った事後アンケートによると、通勤者の35%が実際に活用している。

 また、大会の影響を受けるエリアに所在する企業の約半数が、働き方や通勤ルートの変更を社員に奨励したり、関連情報を提供したりしたという。休暇の取得を促した企業も多い。その結果、五輪開催全期間を休んだ社員は全体の4%、1日でも休暇を取った人も4%を記録した。

 ②ルートを変える(Reroute)=通勤者の18%は混雑が予想される駅や路線を回避した。

 ③時間を変える(Retime)=通勤者の22%が通常より早く家を出る一方で、6%は遅くした。帰宅時間では15%が普段より早く、7%は遅くした。

 ④手段を変える(Re-mode)=通勤者の14%が徒歩・自転車・ライドシェアなどを利用して通勤方法を変更した。中でも、ロンドン市がシェアサイクルのプラットフォーム整備を事前に進めたため、自転車の活用が増えたという。

 なお、混雑を回避するために行動を変えた人のうち、10人に1人は大会終了後もそれを習慣にした。五輪が市民の通勤に対する意識を変えるきっかけとなり、「4つのR」の試みは企業の生産性向上にもつながった可能性がある。

Ⅲ.予想される物流障害

Ⅲ.1.主要道路の渋滞予測

 東京五輪・パラリンピックの前後と期間中、首都圏エリア(ヘリテッジゾーン)と臨海エリア(東京ベイゾーン)の物流が停滞し、企業活動に深刻な影響を及ぼすリスクがある。

 このうち、東京ベイゾーンには日本の五大港の一つである東京港が存在する。その取り扱い貨物量は年間8836万トンに達し、周辺には多数の物流施設が稼働している。東京港の輸入コンテナの取扱量は国内1位で、首都圏で消費される輸入品の7割を占める。「港が3日止まれば、コンビニから商品がなくなるとも言われている」(朝日新聞2019年5月3日)。

 なぜ物流停滞のリスクが指摘されるのか。まずは、大会で使われる大量の備品・機材などが会場や選手村、メディアセンターに配送されるからだ。国際物流に関する展示会やセミナーを開く「アジア・シームレス物流フォーラム2017」の報告書によると、2012年ロンドン大会では約110万点の競技用備品などが輸送された。期間中の物流量はほぼ一定していたが、開会式の前日と閉会式の直後にピークを迎えたという。

 次に人の移動である。東京大会では、延べ1000万人を超える観客数が想定される。それに加え、約2万6000人の選手と32万人以上の大会関係者が参加する予定。観客のほとんどは鉄道やシャトルバスなどの公共交通機関を利用するが、選手や要人、それに伴うスタッフは各施設まで主に自動車で移動する。期間中、大会関係者の車両は約6000台に上る見通しだ。

 この大量の物と人の移動は、道路交通に大きな影響を及ぼす恐れがある。東京大会の交通輸送技術検討会によると、交通対策を何ら講じない場合、一般道路では場所・日時によっては所要時間が3割以上延びる。

 特に期間中の首都高速道路では、多くの場所・時間帯で移動時間が普段の3倍以上になるとみられる。料金所や流入の多い入口は特に混雑する。

 深刻な渋滞を避けるため、同検討会は交通量を全体で約15%、首都高では約25%減らす交通マネジメントを提言している。このうちTDM(交通需要マネジメント)はロンドン大会の「4つのR」にならった交通量抑制策。TSM(交通システムマネジメント)は、一般道路(専用/優先レーン設置、駐車禁止、流入制限、通行禁止など)と、高速道路(入口閉鎖、流入制限、車線規制、区間通行止めなど)で対策が分かれる。

 TDMの中で注目されるロードプライシングは、首都高の通行料金を時間帯によって変動させる制度。具体的には、日中は現行料金に1000円を上乗せする一方で夜間は値下げし、日中の渋滞を緩和する案が報じられている(日本経済新聞2019年5月19日)。また東京港では、東京都と港湾業者がコンテナ貨物の受付時間延長を検討している。

Ⅲ.2.ロンドン大会で実施された物流対策

 2012年ロンドン大会でも、道路混雑による物流の混乱が懸念されていた。ところが大会期間中、ロンドン交通局に対して大規模な物流の停滞が発生したという報告は無かったという。小売業向けの配達はほぼ計画通りに行われ、大会が始まっても店頭で深刻な品切れは起こらなかった。また、医療や金融サービスにも顕著な影響は出なかった模様だ。

 一体、企業はどのような対策を講じたのか。そのポイントは通勤同様、配送についても①回数を減らす=Reduce②ルートを変える=Reroute③時間を変える=Retime④手段を変える=Re-mode―の「4つのR」である。ロンドン交通局が2000以上の物流関係者を対象にして大会前に調査したところ、その70%以上が「大会に向けて何らかの対策を行う」と回答した。

道路交通への影響を伝えるポスター20190630_04.png(出所)ロンドン市・ロンドン交通局

 国際物流・輸送を研究しているChartered Institute of Logistics and Transport(CILT)が、大会後にアンケート調査した企業の実際の取り組みは以下の通りである。

 ①回数を減らす(Reduce)=顧客やサプライヤーと調整し、配送の日程を大会前にずらした企業が多い。中には、在庫集約センターや臨時倉庫を設置した企業もある。近隣企業との協力によって、共同荷受けや同一サプライヤーからの調達も見受けられた。また、製品の点検やメンテナンスといった定期サービスは前倒しのほか、期間中は複数スキルを持つエンジニアを待機させておくなどの対策を講じた。

 ②ルートを変える(Reroute)=企業の42%が混雑エリアを避けるためにルートを変更した。ルート変更した物流事者のうち58%は混雑、57%が交通制限の回避を目的とした。このため運送会社が臨時配送拠点を設置したり、顧客が納品場所を変更したりといった対策がみられた。

 混雑エリアの状況を把握するためには、情報の共有が欠かせない。物流業者の多くは実際、業務開始前にその日の混雑状況の予想をドライバー同士で共有。例えば、ドライバーが走りながら得た情報を、勤務シフト終了時に次の担当者に受け渡した。情報提供のために開設された専用ツイッターも、最新情報を取得する上で役立ったという。

 ③時間を変える(Retime)=企業の72%は集荷や配達の時間を変更した。変更を行った物流業者のうち、36%が通常の時間外で配送した。時間外配送は一般的に午後6時~翌朝6時に行われ、日中より道路が空いていたため、配送時間やガソリン代の削減にもつながったという。例えば、大手飲料メーカーは、日中と深夜の配送量を半々にしてドライバーの運転時間を20%削減。また、ある小売りチェーンが120店舗のうちの70店舗で時間外配送に移行したところ、前年と比較してガソリン代を6%節約できた。

 ④手段を変える(Re-mode)=道路事情によって配達できないエリアについては、「ラストワンインチ」を徒歩や自転車に切り換えて届けた事業者もある。

Ⅳ.サイバー攻撃のリスク

 ICT(情報通信技術)の発展に伴い、五輪・パラリンピックにおいてもデジタル化が加速してきた。

 2020年東京大会では、さらなるICTの進歩が見込まれる。例えば、大手携帯電話会社は次世代通信規格「5G」によるサービス提供を計画している。5Gは現在の4Gと比べ最高伝送速度が100倍、通信のタイムラグは10分の1になる。このため、鮮明で滑らかな動画の配信が可能になり、動きの速いスポーツ中継に向くといわれる。ロンドン大会と比較すると、東京大会では視聴者数が約10億人増加し、データトラフィック量は約3000倍にもなると予測されている。

 このように大会中継が臨場感あふれるように進化する半面、サイバーセキュリティが深刻な課題になる。スマホなどのモバイル端末を1人1台以上持つことが当たり前となった今日、東京大会では多様なデバイスが国内に持ち込まれる。大量の通信が行われるため、サイバー攻撃や通信障害などのリスク増大は避けられない。

ロンドン大会と東京大会のICT活用20190630_05.png(出所)仏Atos社「ascent, a vision for sport and technology」を基に作成

 過去の大会ではどのようなサイバー攻撃と被害が生じたのか。2012年ロンドン大会はデジタル化の加速に伴い、サイバー攻撃を受ける件数が急増すると予測されていた。このため、国際オリンピック委員会(IOC)のITパートナー企業である仏Atos社は、450人に上る技術スタッフを配備した。実際、大会公式ウェブサイトだけでも、期間中に2億回を超える攻撃を受けた。一方、開会式当日には大会の電力システムが狙われたため、急きょ操作をマニュアル(手動)に切り換えて危機を辛うじて回避した。

 2016年リオ大会でも、大規模なサイバー攻撃が仕掛けられた。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の調査によると、その攻撃は開会式前から始まり、期間中はブロックされたものだけでも2300万回を数えた。日本政府が内閣官房に設けたサイバーセキュリティセンター(NISC)のレポートによると、開会当初は大会関連のウェブサイトを対象とした攻撃が多かった。その後次第にブラジル政府関係のウェブサイトに移り、最終的には大会関連の企業ウェブサイトも標的にされた。

 データベースへの攻撃は州知事や市長、スポーツ大臣といった要人が対象になり、彼らの個人情報が漏洩した。また、オリンピック会場の建設事業者やリオデジャネイロの電力会社、コンサルティング会社などの企業や、社会保障や通信関連の政府機関までもが被害を受けたという。

Ⅴ.企業に求められる危機管理対策

Ⅴ.1.通勤障害への対策

 東京五輪期間中の平日は、交通機関のダイヤが乱れて通勤に支障が生じる可能性が高い。多くの企業のお盆休みは五輪期間と重なっていないため、休暇の移動・拡大や有給休暇の取得奨励などを検討すべきだろう。

 在宅勤務などのテレワークも効果的である。日本政府はロンドンの成功にならい、テレワークや時差出勤などの「働き方改革」を奨励している。2017年からは、東京大会開会式に当たる7月24日を「テレワーク・デイ」と名付け、混雑時間帯の通勤回避を呼び掛けている。

 2018年は1682団体から30万2000人が参加した。その結果、23区内の通勤者は延べ41万人減少した。また、残業時間が平均45%、交通費は平均18%減るなどの効果をもたらした。今のうちから、社員が利用しやすいテレワークの制度やインフラを整え、その運営面での課題を洗い出し、必要に応じて改善措置を講じておくべきだろう。

2020年東京大会カレンダー
鉄道が特に混雑する期間(赤色点線枠)、 多くの企業のお盆休み(青色点線枠)20190630_06.png(出所)東京都オリンピック・パラリンピック準備局「2020大会輸送と企業活動の両立に向けて」を基に作成

 混雑状況に応じて社員が各自で判断できるよう、鉄道情報の提供も重要である。路線や駅の混雑度の予想は、東京都オリンピック・パラリンピック準備局のホームページに公開されている。それを基に最新情報を社員に伝える工夫が必要だろう。

Ⅴ.2.物流障害への対策

 五輪・パラリンピックともに、開閉会の前後は大会で使用する資材や機器などの搬出入で道路が特に混雑する。また、開・閉会式や陸上競技の開催日は通行止めなどの交通規制が実施されるため、会場付近は細心の注意が必要である。

 都内臨海部や競技会場周辺の物流に関わる企業は、東京大会の開催前に入念な物流計画を立てるべきだろう。完成品だけでなく、消耗品などの配送に思わぬ「落とし穴」が潜んでいるリスクもあり、緻密なサプライチェーン・マネジメント(SCM)が求められる。

 東京大会の交通輸送技術検討会は、首都圏の物流停滞を回避するには、交通行動の変更において荷主や配送先、関連企業から協力を得ることが不可欠だと指摘する。具体的には、輸送の①回数を減らす(取り止め・集約)②日程・時間を変える③場所・ルートを変える―の3点を提唱している。

 まずは、前後を含めた大会期間中、影響を受ける恐れがある輸送経路を正確に把握し、その対象となる品目を洗い出しておく必要がある。重要度や緊急性に応じて分類し、優先度が高いものは前述した三つの変更方法を検討しておきたい。

Ⅴ.3.サイバー攻撃への対策

 過去の五輪では、サイバー攻撃の対象が政府機関にとどまらず、企業にも及んだ。今回の東京大会では、情報システムの多様化やIoT機器の普及などが加速するため、そのリスクはさらに大きくなり、複雑化すると考えられる。最低限、ウイルス対策ソフトのアップデートを随時行う必要がある。

 過去の大会をみると、五輪関連のサイバー攻撃は開催の2年前から始まっている。大会が近づくにつれ、不審メールが増加する恐れがあり、社員に対して通常以上に注意喚起をする必要がある。

 また、悪意のあるWi-Fiスポットが設置される可能性も高まる。情報が窃取されることを防ぐため、会社支給のパソコンやスマホからは公衆Wi-Fiに接続しないよう徹底すべきである。

20190630b.jpg東京都オリンピック・パラリンピック準備局を運営する東京都庁
(写真)筆者 RICOH GR


 (株)リコー(社長執行役員:山下 良則)は2019年6月20日、2020年7月24日~8月9日(東京オリンピック開催期間)に本社オフィスをクローズし、本社に勤務する社員2000人が一斉にリモートワーク(在宅勤務やサテライトオフィスでの勤務)を行うと発表しました。これにより、時間や場所にとらわれない柔軟な働き方やBCP対応の実践に取り組みながら、大会期間中の首都圏の混雑緩和に貢献します。

ニュースリリース:2020年夏季期間中に本社勤務約2000人が一斉リモートワーク


小野 愛

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※この記事は、2019年6月28日発行のHeadLineに掲載されました。

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